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地球を救うDVD映画「石榴坂の仇討ち」 [映画]

柘榴坂の仇討
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以前私のブログの中でご紹介した、
「途方もない使命感に誘われた若者達、桜田門外ノ変」(原作:吉村昭)なるものがありますが、それは、
水戸藩士の視点に立った映画でしたが、今回は彦根藩士の視点から捉えた映画です。
それがこれからご紹介する「石榴(ざくろ)坂の仇討ち」(原作:浅田次郎)です。


大老、井伊直弼(いいなおすけ)は朝廷の許しを得ぬまま1858年アメリカと通商条約を結んでしまった、その上、攘夷をけちらし吉田松陰の首もはねてしまった。
世に言う「安政の大獄」です。ために国中の幕府に対する反発はかつてない程、勢いを増してきた。
対外的には列強が徳川幕府ののど元まで迫ってきている。大老、井伊直弼の心境はいかばかりかと想像する。

井伊直弼は国中では赤鬼と称せられているが、「あたたかく風流で優しいお方」と評して、「おれは嘉門の守さまが好きだ、政(まつりごと)がどうあれ、茶、和歌、鼓(つづみ)に通じているお殿様が好きだ。」という。

この男、井伊大老の命を守る近習(きんじゅう)という役目を仰せつかり、お殿様を守ることに全精力を費やそうとしている。名は志村金吾(しむらきんご)。

3月3日は慣習となっていた上巳(じょうし)の節句にて井伊直弼は登城する予定であったが、その朝「大老襲撃の企てあり」との情報が入り家臣は登城を取りやめるよう進言したが、井伊直弼は大老としての役目を重んじ、それを圧して登城した。

すべて天命、天が逝けというならそれもよし、生きろというならそれもよしと、人生を達観した直弼の言葉は不穏を告げるかのようである。

人の命は天の差配によって決められている。

その時が来るまでは人は懸命に生きよということだ。

雪の降りしきる登城中、井伊直弼は水戸浪士らに命を奪われてしまう。
金吾は命に代えても殿を守ると心に決めていたがそれが果たせなかった。
これこそ断腸の思いというのだろう。

そして水戸浪士一味を捕えることが金吾に下された命令となった。
金吾の父母は自害、また金吾は妻を離縁しようとするが、
妻(セツ=広末涼子)は「ご本懐をやり遂げるまで、おそばに置いていただきます。」
と、まあなんとけなげな言葉だろう。
こういう言葉、心情が、かつての日本には生きていたのだ!

桜田騒動から13年たった。
金吾はいまだに水戸浪士を追っていた。しかしつぎつぎと捕えられ、
あと一人、佐橋十兵衛(さばしじゅうべい)を残すのみとなった。

金吾の友人、内藤は上手に明治維新を乗り切った。軍服を着た内藤は金吾に言う。

内藤)彦根藩などはもうどこにもないのだぞ!
金吾)侍はなくなってしまったわけではない。
   姿かたちは変わってもその心はどこにも生きている。

内藤の上司、秋本夫婦に、こんな会話がある。
夫)志村金吾の父母は自害した。金吾には切腹が許されなかった。一味を捕えるまでは。
  金吾は13年もの間、生き恥をさらさねばならなかった。
妻)お辛かったのはその人一人ではありますまい。
  ご本懐を遂げられた後は、その方はどうなされます?
夫)当然腹を切る。
妻)奥方はどうされます。
夫)あとを追うだろう。
妻)あなたは、その手助けをなさるおつもりですか?
このような女性の台詞を聞いていると、この時代の男も強かったが、女性も良妻賢母ぶりを発揮しているなあと思う。

新しい世を生きよ、ひたむきに生きるのも道だと金吾は秋本に諭される。

金吾が仇討ちを探し当てたその日、明治政府の布告がでて、仇討は禁止となった。

金吾は仇討ちの佐橋十兵衛の前でこう言う。
佐橋殿、時代は変わった、だが武士は変わることはない。 その心を持ったまま、この垣根を越えてはくれまいか?  生きてはくれまいか? わしもそうする故。

佐橋もそれを受け入れた。二人の心は13年間、時間が止まったように生きてきたが和解して新しい世を生きることになる。

監督     :若松節朗
原作    :浅田次郎
配役  
志村金吾   :中井貴一
佐橋十兵衛  :阿部寛
志村セツ   : 広末涼子
内藤新之助  :高嶋政宏
秋元和衛   : 藤竜也
井伊直弼  :中村吉右衛門

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